ジミー・キメル-エンターテイメント界で指折りのハードワーカー

本日は、エンターテイメント界、特にアメリカで定番のナイトショー(毎晩、芸能人や有名人などのゲストを招いてトークをする番組)でも現在大人気の、ジミー・キメルのインタビューをお届けします。ジミーの仕事ぶりや、哲学、彼の上司、人をマネジメントする事についてのインタビューです。

数ある番組の中でも、かなり際どい発言や、番組内容で知られるジミーですが、ビジネス・パーソンとしての姿は一体どのようなものなのでしょうか?

朝9時前のロサンゼルスの事務所にて

ABCネットワーク(アメリカ3大ネットワークといわれる大手テレビ会社)のプリンスと言われる、大人気の深夜番組司会者が、夜の9時ではなく、朝の9時にオフィスに出勤しているとは想像も付かないが、9時前には人気司会者、ジミー・キメルのオフィスに秘書が案内してくれた。ジミーのオフィスはハリウッドの名高い、エル・カピタンシアター、彼の番組が録音されるスタジオのすぐ隣である。

ジミーのオフィスはL型の形をしており、ジョギングマシーンとキッチンには、今話題の真空調理器、サウサ・ヴィデが設置されている。ジミーは最近ダイエットに成功した事で有名だ。少し乱れた格好で現れたジミーはコーヒーを勧めてくれ、すぐに自分のだらしない格好を詫びた。

「すごい格好でインタビューに現れてすみません!」。

インタビューの日は、珍しく休みだった週末に20歳の息子ケヴィンと、幼馴染でジミーの番組のバンドリーダーのクレト・エスコベドとフライ・フィッシングに出かけた後の月曜日だった。

「本当に忙しい時こそ、遊ぶ時間を見つけようとするんです。いつもストレスで押しつぶされそうになると、カレンダーにメモした遊びに行く日を眺めて、集中しようとするんです。休みの日っていうのもいいんですが、いつもチャリティーのイベントや、番組の用意で結局時間がなくなってしまうんです。私の仕事が番組制作だけならいいんですが、色々な方からお声がかかるので、そうもいかないんですよ。」

稀代のコメディアン、エンターテイナーとしても有名なジミーだが、実際にはショー・ビジネスの世界ではハードワーカー賞があれば、確実にノミネートされるくらいの仕事の虫だ。毎晩のナイトショーに加えて、自らの番組のプロデューサー、そしてジャックホール・プロダクションを経営し、チャリティーの組織から声が掛かると、滅多なことでは断らない。また最近では声優としてもハリウッドで活躍している。

ジミー・キメルは1999年に大人気だった「Man Show」でブレイクした。ビキニを着た女性がトランポリンでジャンプする映像や、手当たり次第に電話をかけて素人をからかうコーナー、また、ハロウィンで集めたお菓子を両親が全部食べてしまったという設定のドッキリで幼い子供たちを泣かしてしまうという。全米中の親たちの反感を買うような過激なコーナーもあった。現在大人気で放映中の「Jimmy Kimmel !」では、得意のジョークで客の喝采を受けながら、幼馴染のバンドマスター、エスコベドや元NYPDの警察官である実の叔父を番組のガードマンとして番組に取り込み、家族的な仲の良い雰囲気を醸し出している。

ハードワーカーであり続ける理由

コメディアンの顔とは別にビジネス・パーソンとしてのジミー・キメルは超真面目な事で有名だ。

「一番気をつけている事は、時間に絶対に遅れないことです。私のボスのボブ・アイガーは仕事にかけては、私よりハードワーカーな一人です。なんと彼は毎日朝5時まで働いているんですよ!」。

ウォルト・ディズニー会社のCEOであるボブ・アイガーは本人の気づかないうちにジミーと何年にも渡ってちょっとしたゲームをしていた。ジミーは二人で朝食ミーティングをする際にいつもアイガー氏より先にレストランに着こうとするが、アイガー氏はいつもジミーが店に着く頃にはいつも涼しい顔で席に座っているのだ。

「何時もミーティングでレストランで先に待っているのはいつも僕なんですが、ボスだけは別です。でもそれが、ボスがボスである所以かなと思いました。」

ジミーのオフィスで最後まで仕事をしているのは、ジミー本人だ。彼のハードワークは両親の遺伝子から、また貧乏だった若い頃の「お金がない。」ことに対する恐怖感からも来ている。

「成功するということは周囲の尊敬を勝ち得る事、自分自身の達成感とかそいうことも、もちろんひとつの物差しであると思います。もうひとつの尺度は、お金の心配をしなくて良いということです。若い頃はお金が無くて、本当に不安な毎日でした。ランチのお金もないくらいでした。人はお金で幸せは買えない、と言いますが、お金で安心は買えます。特に僕のような不安障害を持つ人間にはとても重要な事なんです。」

ジミーの不安障害はホストを務めたラジオ番組を生まれて初めて解雇された時に、最高潮に達した。シアトルのラジオ番組の司会を務めたジミーの人気は当時鰻登りで、聴取率は10ヶ月連続で上昇した。だが、ある日突然解雇されたのだ。

「スタッフやクルーにも親切にマナーよく接していましたし、ドラッグをやっていたわけでもない。ましてや時間に遅れたり、欠勤したこともなかったんですよ。ただ、ボス達は僕達を気に入らなかったんです。若い世代には圧倒的に人気があったんですけどね、、、」。
「結果的に首になって、故郷のアリゾナに帰って、夫婦で両親と一緒に暮らしました。屈辱的な事でしたし、解雇されてから9ヶ月も仕事がなかったんです。」

「解雇と言うのは本当に嫌な気分です。職場の友達や、仲間たちの前でガードマンに見張られながら、自分の荷物と一緒に出て行くなんて。いかに自分がだめで、価値がないか、、特に一家の長として本当に立場がなくなります。二度とあんな経験をしたくないですね。でもその恐怖感が今の僕を支えているのかもしれません。」

雇用者の立場として

自分の会社の雇用者として、今度は自分が解雇する立場になった。社員を解雇するときは本当に胃が痛くなるという。自分の会社で首になることは殆ど無いと彼は言うが、解雇しなければならない時は正直に、できるだけ真実を伝えることが重要だと彼は言う。

「解雇するときには、正直に、あなたはこの仕事には向いていないと伝えます。私が解雇するときは解雇される側は不当に扱われたとは思わないでしょう。また解雇というのは時には良い結果をもたらす事があります。」

度重なる解雇を経験した後、最後には成功を掴みとった自らの経験をジミーは語る。

「一度、フロリダ州のタンパで首になった時、同じ日にカリフォルニアで職を得たんです。首になったおかげで、退職金を貰えてそのお金でカリフォルニアに行けたんです。」。

最終的には、ジミーのキャリアはLAのKROQに落ち着いた。ジミーのショーはテレビのプロデューサーの耳に入り、後のTVでのキャリアに繋がる。KROQでは、当時既に伝説のディレクターだったケビン・ウェザリーが上司であった。ボスというものは、どういうものかをジミーに教えてくれた。

「当時の朝のショーで、他の二人の出演者には聴取率が上がればボーナスがでるという契約があったんですけど、僕にはその契約がなかったんです。その時、ボスのケビンが自室に呼んでくれて、自分のポケットマネーから$500も僕にボーナスをくれたんです。」

「ボスというのは、部下のお給料を上げ下げできます、でもケビンは自分の給料から僕に$500もくれた。そのことは一生忘れません。」

二年後、ジミーに仕事のオファーが他のラジオ会社から舞い降りた。引き抜きの給料はKROQの4倍だった。だが、ジミーはオファーを断った。自分を大切にしてくれたボスと競合するなんて、考えられなかったからだ。

「たった$500のボスのボーナスのせいで、2年間28万ドルのオファーをふいにしてしまいました。ボスにとっては良い投資でしたね!」

最後に上に立つものの心得として、ジミーはこう語った。

「上司というものは、感謝の気持ちを部下に表す事が大事だと思うんです。それはケビンのようにお金で示してくれる場合もありますし、ただ単に有難うということも簡単だけど、非常に大切だと思います。」

参考:http://www.success.com/article/jimmy-kimmel-the-hardest-working-man-in-show-business

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